タンパク質の構造からひもとく、古代の歴史 環境科学コース / 環境化学分野 中澤 隆 教授

本来の研究テーマは、生命現象をタンパク質の構造と機能の両面から解析することです。
最近、遺跡からの出土遺物や文化財に含まれているタンパク質の化学分析や質量分析などを手がかりに、
古代史の謎を研究する“タンパク質考古学”を立ち上げました。

中澤 隆 教授 中澤 隆 教授

理系と文系の接点、タンパク質考古学。

私の研究テーマは有機化学、タンパク質科学、質量分析学、生化学、考古学、文化財科学などです。これらをすべて含むのが“タンパク質考古学”です。生命現象をタンパク質の働きで解明しようとする学問をプロテオミクスといいます。「生命」を「古代社会」に置きかえ、遺跡や文化財に残されたタンパク質のプロテオミクスをもとに、古代史や古代文明を研究しています。ノーベル賞を受賞された田中耕一さんたちが開発した質量分析装置は、私たちのタンパク質考古学にもとても役立っています。タンパク質を構成する全部で20種類のアミノ酸の並び方が生物の種類によって決まっていることから、私たちは古代の資料に残るタンパク質の質量分析によって、どのような生物のどのようなタンパク質が含まれているかを調べています。

古代から贅沢品であった絹の成分はタンパク質

私は、古代の歴史を絹や膠(にかわ)のような古代文明に関わりの深いタンパク質から見ようとしています。絹の成分はフィブロインとセリシンというタンパク質です。大正時代に、明日香村の7世紀頃に造られたとされる牽牛子塚(けんごしづか)古墳から、布を非常に高価な漆で固めた夾紵棺(きょうちょかん)が出土しました。この棺(ひつぎ)の価値をさらに高める絹は、わずかに検出されたセリシンの断片の分析から、中国原産の家蚕(やさん)由来であることがわかりました。一方、奈良県桜井市にある纏向遺跡からは、巾着型の布製品が出土しました。卑弥呼が活躍したとされる3世紀頃のもので、布には漆で防水加工がしてありました。この布製品を分析したところ、日本在来種の天蚕(てんさん)由来のフィブロインと一致するアミノ酸の並び方を見つけました。

古代の絹から探る養蚕の起源

日本の弥生時代には既に中国大陸から稲作と養蚕の技術が伝わっていたようです。日本最古の「弥生絹」はその織り方から国産とされていますが、「古事記」と「日本書紀」の神話の時代に、稲や麦などの五穀とともに蚕も生まれたと書かれていて、天照大神(アマテラスオオミカミ)自らが機を織っていたととれる箇所もあります。弥生絹や神話の絹は、纏向遺跡からの布製品と同じ天蚕由来なのでしょうか?あるいは、それらの素材が中国原産の家蚕の絹であるとすれば、いつ、どの経路で渡来し、牽牛子塚にたどり着いたのでしょうか?「魏志倭人伝」には、纏向の布製品ができた時代と同じ頃の倭国の王(卑弥呼?)が魏の皇帝に絹製品を献上したと記録されています。この絹はどんなカイコガからとられたのでしょうか?こうした数々の疑問は、さらにシルクロードを伝って、世界の養蚕の起源についての疑問にまで広がります。